後日、ハワイ真珠湾に修学旅行に行く予定の2年生は、1学期からビデオを見たりしながら平和学習を進めてきました。 講師の方の話だと、国民学校(今の小学校)5年生の12月8日の朝はとても心に残っているそうです。日本が真珠湾を攻撃した1941年12月8日の朝(日本時間)、ラジオで日本がアメリカと戦争を始めたことを知り、子どもながらに心臓が縮む思いだったそうです。 子どもの世界にも戦争の影響は大きくありました。
戦争に出兵する者には、ある日突然、通知が来ます。勿論、行くことを拒むことはできず、その頃は、兵隊として戦争に行くことはお祝いごとでした。戦争に行く際は、肌につけると戦苦を免れ無事に帰還することができるという「千人針」(千人の女性が赤糸で一針ずつ縫った一枚の布)で、無事に帰ってこれるようにと願ったり、また、空から見つからないように、目立たない黄土色の服を着たり、家の電球には“かさ”をつけて光をもれないようにしたそうです。さらに、お寺の釣り鐘を全部はずし、身の周りの鉄や銅関係の物(火鉢や金網、窓わくなど)が全て集められたのは、武器を作るためだったことなどを、写真や現物を見ながら、説明してくださいました。 その頃は与えられる食料も決まっているため(配給)、おなかがへって、へって、へりすぎて泣いた覚えもあるそうです。 |
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【学校法人松風学園彦根総合高等学校の生徒より 】
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【学校法人松風学園彦根総合高等学校の先生より】外部の講師の方に来ていただき講演をしていただくと、その方の専門性が活かされ、より深い内容を生徒に聞かせる事ができるという面で、有意義であると考えます。 |
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【八日市郷土文化研究会の方より】誰も私語をせずに、多くの生徒さんが、私の話に関心を向けていてくれたので、一生懸命にお話ができました。物や写真を持っていったので、生徒さんも興味を感じてくれたのだろうと思いました。 「戦争」と「平和」は、人類にとって、とても大きなテーマです。一人ひとりが自分の問題としてとらえてください。いろんな人の話を聞き、いろんな本を読んで、自分の考え方をつくりあげてください。 |